ぼくの世界、君の世界
2024年12月5日 12時48分昨日と気温はそれほどかわらないようですが、今日は風が強く、屋外は肌寒く感じます。特に日が陰りますと、急激に冷え込みます。曇り空の下で佇む「すずかけの木」が、寒さに震えているように見えました。
また、プール横では、有志「花いっぱい隊」の子どもたちが育ててくれているプランター植えの草花たち(パンジー/クリサンセマム/サクラソウ/キンギョソウ)が、北風に震えていました。
昨日は校内持久走大会が開催され、午前中は学校中が熱気と興奮、応援の声に包まれていました。しかし、今日は昨日とは打って変わって穏やかな静寂に包まれている感じがします。トイレのスリッパを見て回りましたら、概ねいい感じ!
ただし、いくつかのトイレで、子どもたちの心の状態が心配される状況もありました。
さて、このような感じで校内を歩いて回っておりましたら、6年のある学級で国語科の授業をしているのが目に入りました。板書を見ると「ぼくの世界、君の世界」という文字が目に飛び込んできました。この教材は、「西 研さん(1957/哲学者、鹿児島県出身)」作の論説文で、小学生にはやや難解で哲学的とも思える教材です。
内容を少し紹介しますと、西さんが小学生の頃、天井にぶら下がる裸電球をぼんやりと見ていた際のエピソードが、冒頭で語られます。そして、このエピソード(小学生の西さんが感じた”不思議”や”心細さ”)を起点にして、「自分の感じていることと他者が感じていることが同じであるという保証はどこにもない」という思いを、西さんは抱きます。そして、他のエピソードも語りつつ、西さんは「結局、私たちは、一人一人別々の心をかかえており、人と人は永遠に理解し合えないのかもしれない」というテーマ(問題)を、読者に投げ掛けます。
自身も教諭時代に、担任学級の子どもたちと共に、この論説文を読み深めた思い出があります。そうしたこともあり、引き込まれるように教室におじゃまさせてもらいました。
授業のテーマ(めあて)は「自分の経験と重ねて読み、考えを広げる」でした。見たところ、「ぼくの世界、君の世界」の読解をひととおり終え、これまでの学習を振り返って「筆者が読者に伝えたいこと」について自分なりの考えをまとめる作業をしているようでした。
6年生の子どもたちは、自身の経験や思い出を想起しながら、タブレット端末に自分の思いや考えを打ち込んでいました。
各自のタブレット端末に入力された情報は、教室前面に置いてある電子黒板で共有できますし、子どもたち自身もMyタブレット端末を操作して、友達が入力した意見(友達のタブレット画面)を確認し、自由に読み合うことができます。コメントを打ち込んで届けることもできます。(※ただし、これは、指導教員が自由に閲覧できる設定にした場合のみです。学習内容によっては、友達の画面を見ることができない設定にする場合も多々あります。)
※ 自身が教諭だった頃は、当然、上のようなことはできませんでした。同じことをしたい場合は、ノートの回し読みというアナログ手法をとることが多く、結構な時間を要したものです。あの頃のことを思いますと、本当に便利な世の中(学校)になりました。
電子黒板に映示された意見の一部を紹介しますと…
的を射た、鋭い意見に自身は感心しました。さすが常盤っ子です!この時間は、学習テーマに対する各自の考えを文章にしてアウトプットする活動がメインでした。次の時間の授業では、これらの個々の意見(思い・考え)を学級全体で交流し合いながら、テーマに迫っていくものと想像します。
6年生のみなさん!学級の仲間の意見も参考にしながら議論を重ね、自身の思い・考えを深め、形にしていってくださいねー!!
「自分の思いは、だれかに伝えようとしないかぎり、だれとも分かち合えないし、だれにもわかってもらえない」のですから。(^O^)