珈琲Break…閑話余談日記5「カブトムシ考」
2023年8月16日 09時00分【注】「閑話余談日記」というフレーズを初めて目にしたという方は、まずは下の文字をクリック。
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では、閑話余談を…。(文体は常体交じりにて)
台風7号が日本海に抜けていった。
安堵されている方々が多いのではないだろうか…。
このお盆。
1泊2日で島に帰省しました。
夜、灯りに誘われてでしょうか…カブトムシが雑木林から飛んできました。
網戸にしがみつく姿をぽけーっと眺めていたら思い出したことが…。
まずは、下の随想文を。(※「愛媛県小中学校長会報」R2.10.2号より一部抜粋)
「しっかりとした子ども時代を」広田小学校長・山下吉信
(前略)最近、『生き物が大人になるまで~「成長」をめぐる生物学~』(稲垣栄洋著/大和書房)という本を読みました。「カブトムシの大きさ、あんなにも差が出る理由」という見出しに興味を引かれたのですが、要約すると次のような内容です。
〇 カブトムシは成虫になると、どれだけ餌をたくさん食べても、大きくなることはない。
〇 カブトムシの体の大きさは、幼虫のときに食べたえさの量で決まる。
〇 イノコヅチという植物は、葉の中にイモムシの成長を早める成分を含んでいて、この葉を食べたイモムシは他の幼虫に比べて葉を十分に食べることなく、早く大人のチョウになってしまう。
〇 イノコヅチを食べたイモムシは、小さな成虫にしかなれず、卵を産む力もない。
〇 早く成虫にすることが、イモムシを退治するイノコヅチの作戦。
稲垣氏は、最後に次のように述べています。「もしかしたら、私たちは知らず知らずのうちに、子どもたちに対して同じことをしてはいないでしょうか。(略)しっかりとした大人になるためには、しっかりとした子ども時代を過ごすことが大切なのです。」(後略)
以上。
約3年前、これを初めて読んだとき、私は、改めて自然界の神秘や奥深さを知るとともに、その巧妙さ、さらに言えば、怖さすら感じたことを覚えています。
ところで、稲垣氏が言うところの「私たちは知らず知らずのうちに、子どもたちに対して同じことをしてはいないでしょうか。」の「同じこと」とは、どういうことでしょう?読者の皆様はどうお考えでしょうか?
多様な解釈があると思いますが、私はこう捉えています。
① 子どもたちが大人になったとき、自身の良さ(ステキ&キラリ)を発揮しながら豊かで幸せな人生を築いていくために必要となる経験を、子ども時代に十分に積ませていない。
② 目先の結果や効率性にとらわれて、私たち大人が子どもにとって良かれと思って与えているものが、実は、子どもの成長を阻害している。
今私たちは、スマホ一つあれば、瞬時にあらゆる情報を得たり共有したり、バーチャルな体験をしたりすることができます。こうした状況は、今や大人世界だけでなく、子どもたちの世界も侵食しています。
7月のブログでも触れたように、マッチの使い方を知らない(マッチを見たことすらない)子どもたちや、電化が進む日常生活の中で炎を見ることがほとんどない子どもたちが増えています。こうした現実を見るにつけ、子どもたちの実体験の不足を痛切に感じるとともに、危機感のようなものを覚えます。
詩人相田みつをの詩にこんな作品があります。
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」
「人の為と書いて いつわりと読むんだねえ」
「体験してはじめて身につくんだなあ」
「肥料/あのときのあの苦しみも あのときのあの悲しみも みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための」
また、発明家エジソンはこう言っています。
「それは失敗じゃなくて、その方法でうまくいかないことが分かったんだから成功なんだよ。」
「困るということは、次の新しい世界を発見する扉である。」
私たち大人は、子どもたちに「豊かな体験」や「価値のある失敗体験」をたくさんさせるとともに、「失敗から学ぶ経験」を積み重ねさせることの必要性と重要性を思い出さねばならないのではないでしょうか…。
カブトムシと同じく、子どもたちの人間力(人間としての基礎力・土台=人間の根っこ)も、幼い頃に食べたえさの量(=実体験の量と質)で決まる部分があるのかもしれません。