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余談…変わることなく持ち続けていたいもの

2024年12月23日 15時18分

 昨日は、全国高校駅伝大会(女子:第36回/男子:第75回)が京都市で開催されました。各都道府県大会や地区大会を勝ち抜いた高校生ランナーたちが都大路を駆け抜けました。歓喜の涙、悔し涙…様々なドラマがあったことと思います。

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 自身は、テレビの前に陣取り、温かい飲み物や茶菓子を頬張りながら、この高校駅伝を観戦するのを毎年の楽しみにしています。しかし、残念ながら昨日は、休日業務で、松山市で開催された式典に参加しなければならず、観戦は叶いませんでした。

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 ところで、自身は20代から30代前半の約10年間(昭和末~平成初期)、体育主任をさせていただきました。この間、2校に勤務しましたが、2校共に旧越智郡の島の学校でした。体育主任として、年間を通して様々な運動部の指導に携わりましたが、10月後半から2月中旬までの4か月弱は、駅伝部の指導に明け暮れていました。百名近い子どもたちと一緒に、正に駅伝一色の毎日を過ごしていました。

 始業前(朝練)や放課後の練習に加え、土曜日(当時は半ドンで午前授業→午後練習)や日曜日も休むことなく練習をしたものです。そうすることが当たり前で、「休む」という概念自体がなかったように思います。年末年始も「休み」は元日のみで、1月2日から練習を始めたように記憶しています。

 今とは時代が違い、労働時間や休日、休暇等に関する法の縛り的なものは一切なく(あったのかもしれませんが、当時はそういったことを誰かから言われたことも、考えたことも、疑問に思ったこともありませんでした。)、今でいうコンプライアンスの概念や厳密にそれを求められることもなかったように思います。今と比較しますと、労働時間の長さという観点からは過酷だったのかもしれませんが、それを苦痛(しんどい)と感じたことは一切なく、むしろ、あの頃は最高に楽しく幸せな日々として自身の胸に刻まれています。

 その背景には、保護者の皆さん地域の方々大らかさ寛容さがあった……(当時の社会全体にそういう空気感があったように思います。)のだと思います。人間的に未熟で、教師としての専門的な知識やスキル、経験が圧倒的に不足している自身を温かく見守り、支え、育ててくださったのが保護者・地域の皆様でした。

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 こんなことがありました。駅伝部の指導に熱が入り過ぎ、練習終了時刻を大幅にオーバーしてしまったときのことです。日は落ち、グラウンドを走る子どもたちの姿が闇に溶け込みかけていました。凍える寒さの中、お迎えの保護者の方々から苦言・苦情があって当然の状況下、「先生!デートもせにゃいかんじゃろうに、こんなに遅くまでうちの子らの面倒を見てくれて、ありがとねー!うちの子らは幸せ者じゃ!」との言葉。今振り返りますと、恐縮しきり…身の縮む思いです。

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 子の親となった今、同じ状況下で、親として自身がこういう言葉を口にできるだろうか…と考えたとき、恥ずかしながらその自信が持てません。あの頃は、万事が大らかで寛容な、いわゆる「古き良き時代」だったのだとは思います。しかし、あらゆることを「そんな時代だった」で片付けてよいのかと、自省・自戒します。時代の流れの中で、許されること・許されないこと求められるルールや責任等々は変化していく面があることは否定できません。ただ、その一方で、変わることなく持ち続けていたい大切な何かもあるように思います。

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 全国高校駅伝大会きっかけの余談が、随分長くなってしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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 結びに、以前紹介させていただきました。愛媛県高校女子駅伝18連覇を果たした八幡浜高校陸上競技部監督・倉田 茂先生の言葉を再掲します。(※昨日の全国高校駅伝大会・第36回全国高校女子駅伝大会にも出場されていました。)

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「幸せだから感謝するのではなく、感謝しているから幸せなのである。」「一生の中で、心から親に『ありがとう』と言えるチャンスが何回あるだろうか。『ありがとう』は努力しないとつかめない出会いに感謝し、親子や仲間と努力し、そこに『ありがとう』が存在するのである。」「結果も大事だが、『ありがとう』と言える過程が大切なのである。」

 「感謝の心」…いつまでも変わることなく持ち続けていたいな…と。

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